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自分自身を含め、あの家(にいる人)をよくしようという思いで作られた、 他人の人生にまで干渉したがる実に傲慢極まりない 家主のダウナー系日記。 アッパーになるための日記でもある。
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今回はストレッサーについて分析したいです。心理学系の本をかじっただけの似非理論と思ってください。

ストレッサーとは、ストレスの元、原因といったもの。

ストレス病にかかっている自分は、ストレスマネジメントを新書程度で触れていたりするが、実戦は難しい、と言うかもう内容忘れ気味。

最近ちと気になったのは、心理学でいう『認知的不協和』という状態。
勝手に素人的な噛み砕きをすると、頭の中で、メリットとデメリット、やった方がいいこととやりたくない理由、両方の可能性、みたいな葛藤が焼きついてどうすりゃいいの?って状態・・・だと思う。

ウィキペディアの例をチラ見してみたが、①『私はタバコを吸いたい』②『タバコを吸うと肺がん率が高まる』という二つの認知があり、これを放っておくとしんどい。
そこで、①『私はタバコを吸いたい』を『私は禁煙する』にすることが合理的解決になり、それで一件落着となればよいが、そうは問屋が卸さない。
では、タバコを禁煙できない人は、②の認知を解消する。『タバコが肺がん率を高めているのではない、むしろタバコを吸わないストレス、タバコを吸いたい気分になるストレスが原因で病になるのだ』『タバコを吸っていても長生きする人はいる』『交通事故死亡率の方が高い』といった様々な認知へ変更することで解消する。

こういったことが日常生活では山のように起きている。

某マンガでは、認知的不協和でこんな話があった。
小学校の先生が出した問題を生徒に一人ずつ答えさせる。例として『1から10まで足したら、いくらになるか?』という問題としようか。
自分としては「55で間違いない」と思っている。ところが、前の席から順番に答えさせられた生徒たちは「45!」「45!」「・・・45」と答えていく。
こんな時、①『暗算してみたが55だ』②『皆は45と言っている』という認知的不協和が発生。
そこで、
①の『暗算してみたが55だ』を『もう一度確認したが間違っていない。55が正解だ』『別にいいや、55で』と変更するか、
②を『皆が言っているからそうなんだろう。45と答えよう』『たとえ45で間違ってても皆間違っているからいいや』といった解消をして状況を打開する。
意志薄弱で恥をかきたくないような人にとっては、①を変更するよりも②を変更する方がいいのかもしれない。


何が言いたいかというと、
①『働きたくない』②『働かなくてはいけない』という認知的不協和の状態の人がいるとする。
①を『私は働く』『バイト程度ならいいだろ』『お金が必要』『働いていればいいことだってある』と変更できればよいし、
②を『皆働いている』と変更してもよい。
だが、②を『自分にはどんな仕事も無理だ』『自分はクズだからこれでいい』『いい仕事が来るまで待っていよう』『働いていない人間は山ほどいる』『いざとなったらナマポ』と変更して、解消するだろうか。

②の『働かなくてはいけない』と①の『働きたくない』の認知を解消したから一件落着!といけばいいが、結局、そうはならない。
次の悩み、認知的不協和が出てくる。『このままではお金がなくなる』という認知が出てくれば、また『働かなくてはいけない』という認知と認知的不協和になるなど。それに、『町内や友人関係で亀裂が生じかねない』『こんな自分でよくないと思う』など、考えれば考えるほど仕事(お金を稼ぐこと)の必要性が認知される。逃げられねえ。
それらが何らかの新しい認知で解消できればいいのだが、結局逃げられねえ。
働かなくて済む方法があったら教えてくれ、ってなる。

私の読んだ本で、『うつ病患者は車で言うならブレーキを踏み続けているわけではない。アクセルとブレーキを同時に踏み続けている状態なのだ』と説いていたのは、とても感銘を受けた。つまり、この認知的不協和のような二つの認知を放置することこそ、片方がアクセル、片方がブレーキなのではないだろうか、と思うのである。


偉そうにかくいう私も多少なりともこういった状況はある。
①『外で自由に行動範囲を広げたい』②『外に出ると体調不良が起こる』といったように。
そこで
①を『私は体調不良になろうと外に出てやりたいようにやる』と変更できればよいし、②を『誰だって体調が悪くなることはある』『体調が悪くなってもどうにかなる』と変更できてもよい。そこから、また新たに悩みや認知的不協和が出ても、それは成長であり進歩なはずだ。

が、①を『別に広げなくてもやっていける』と変更しても、外に出るという行為が人生において必要な以上、②との認知を解消できず、ストレス。
②を『家でもやりたいことがあるし』『通販でおk』などと変更したら、①との認知を解消できず、ストレス。

というわけ。いや、実際にはそこまで具体的に悩んでいないかとは思うけど、無意識のストレス、コンプレックスによる自虐はかなり跋扈しているに違いない。


かなり似非理論になってる可能性が高いが、自分を初め、コレを読んでる人、今のストレス状態を打破したいもんです。

「何もすることねえなら、せめて何かしろや」という発言は、この認知的不協和によるどん詰まりを解消しろってことだとも思うんですよね。やらないことの理由は結局逃げや一時凌ぎでしかないことが多いのである。
本人自身認知的不協和によるどん詰まり、動かないことに対するストレスを感じているならば、すぐにでも行動しろと言いたい。
動かないんじゃなくて、動けない、とかいってるヤツは間違いなく甘え。できないわけがない。
やろうとしたら、ゲロ吐く。外に出たら失神するとかいうくらいなら仕方ない。精神科行ってこい、と。
そうでないならいざ行動して欲しいもんです。もちろん、偉そうに強制する気はないけど、今がよければそれでいいんじゃない?ただ、そのことに対する自虐や愚痴は言うなよ。ループしすぎだから。
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しばらく休暇中(読書などによる修行中)だった、自作小説の執筆を再稼働しようかと目論んでいる。
と思い続けて最初の数ページで挫折したことが何度もあるので、今回もそれかもしれない。

「あの賞に応募してやる!」という発想から賞に向けて書くというよりは、とりあえず書きたいことを書いてみるという方針で行った方がいいと判断。
文字数とかはあとからどうにでもなるだろ。

着想はある。相変わらずどこかの作品に影響を受けた内容なのは、もはや仕方がないので放っておくとして、問題は物語の起伏、展開。
登場人物を考えて、ある程度の性格や経歴まで考えてみた。
プロットも非常に簡素なやつを作成中。そう、問題はその展開である。

今の所、初めっからドラマチックな面白い展開が1,2場面くらいしか思い浮かんでこない。
とりあえずは青春ものの予定。群像にするかは未定。群像構成にするか定まっていない時点で、まだプロット作成の段階にも入れていないな。
また頓挫か?
最近、人生楽しいことがない。病んでるわぁ。

「楽しいことが向こうからやってくるわけねえだろ。自分から探してこいや。家になかったら外で探せや」
てのはよくわかります。

かわいい子が向こうから声かけてくれるわけねえし、何もせずにいい仕事が見つかるわけもない。
もちろん、果報を寝て待つことだってあるさ。でも、それで若き二十代を無為(今を不満に思うこと)に過ごすのはどうなん、と。
そう自分や友人に言いたくなることは何度もある。

結局、動けばよくなるという保証は無い。
だが、刺激にはなるし、経験にもなる。経験も知識も、語る人生もない白紙の老人になってどうするんだ、と。

そ・れ・で・も、人生において、『苦痛>>>快楽』の不等式は大学生の時期(これから先も楽しいばかりが続くと無意識に感じていた時期)を除いて大方崩れていない。
今の苦痛が将来の幸福につながりゃいいけど、どう素っ転んでも「あん時はつらかった」程度で、「あの時の自分があるから……」と前向きな方向に行く気がしねえ。せいぜい、あの時よりマシという消極的幸福感。

それに今の自分は、先述した白紙の老人にならまいと苦悩して、結局病に陥っている気もする。

結局、無為だろうが何だろうが今が幸せなんだろな。ってことで無理やり心を落ち着けましょう。今が楽しいのだ。

ともあれ、今回の議題には書き加えたいことが多いので後日。主に、ストレッサーと人生を楽しめない気質について。
会社の先輩で、ようやくといっていいか、腹を割って話せるような男の人ができた気がする。

とは言え、話す機会は職場の関係から数ヶ月に一回程度。先日話したとき、いつもの抑鬱気味の調子で話してたら、喝を入れられた。同業者かと思ったら、結構 しっかりした意見を持っていて尊敬できる。もちろん、この歳になると自分でも自覚してる部分だけど、やっぱり他人に言われるとビシッとなるな。
多分こういうのは同年代に言われても、聞き流しか鬱陶しいっていう方向になるだけなんだろう。言い過ぎかもしれんが、メンターを見つけた気分。

まぁ、そんなこともあって、近々くだらんことに手を出すことになるであろう。
ま、若いうちにいろいろやっとかんと、という精神を最近忘れてる。FXや株、釣り、自転車はそのノリだったが、健康状態の悪化がすべての元凶と悟れるが。
それにしても、「これだ!」っていう趣味がないねえ。ゲームとか読書とかでもいいんだけど、それだけっていうとやっぱ世間的な後ろめたさがある。そもそも、最近ゲーム欲も読書欲もイマイチないという絶望感だが。

代わりに麻雀欲はある。けど、相手がいない。社会人サークルはちょっと怖い。フリー雀荘はもっと怖い。
将棋は相手がいない。論外。

アウトドア(団体行動系統)は、(やっていないこともあって)どうやらマジで向いていないのではないか、と最近思い出したので、厳しいな。ま、最近、家で引きこもる傾向は緩和しつつあるから、話はそこからと行こうか。
さて、どれくらいのウォッチャーが残っているのか疑問ではあるが、ブログの更新といこう。
日頃の思考の整理を兼ねて、かつ文章にすることでのストレス発散も兼ねての。

まぁ、ツイッターで代用してもいいけど、日頃のイライラとかを陰で発散するにはこっちがいいだろ、と。まぁ、ブログで公開せずに日記帳にでも書いとけって 言われそうだけど。陰ながら共感してくれたり応援してくれたりしてくれる存在がいてくれたらなあ、という厚かましい願望もありまして。
いや、むしろツイッターのサブアカウント作って、使い分けってのもありかもなぁ。

とにもかくにも、昨今、というよりここ2,3年は健康問題が継続している状況で、心療内科に通院中の身。
そこを治したい所存。
闘病日記の方も書いてもよいかもしれんね。予期不安勢は、そういう今日やったこと今日起きたことの復習はなるべくやらない方がいいんだろうけど。

以前は胃腸問題、頻尿問題が頻発していたが、そこは折り合いをつけて仕方ねえと頑張る意気込みでやっていたら、最近は、仕事前とか仕事中(特に暇なときや仕事が来た瞬間)や日曜日晩とかにピンポイントで息が苦しくなる現象が続いたので、医師に相談。

二三度、薬を変えて現在に至るが、今の薬、超眠い。
U先生が最近常に「眠い眠い」と言ってるのがわかるくらい、何もしていない、手持ちぶさたの状態だと眠い。筋弛緩作用が強いのか、階段から滑ったりしたし、物に足の小指とか肩をぶつけたりとかすることが多くなった。
ただ、息苦しい問題は多少緩和されてきたので、個人的にはいいかなあ、と。

車を運転する前、いつも緊張気味(運転しだすと解ける)だったのだが、運転する前から別に何てこと無くなったっていう変化もある。

とにもかくにも医師に相談しながら治療したいと思います。
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