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自分自身を含め、あの家(にいる人)をよくしようという思いで作られた、 他人の人生にまで干渉したがる実に傲慢極まりない 家主のダウナー系日記。 アッパーになるための日記でもある。
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嫉妬や怨嗟にあふれたこのブログで傷ついた人がいるなら、心より謝罪します。
そもそも読まれているということに驚きです。
以前もこんなことしたけども、感情のはけ口(自分への納得)が個人的にこんなオナ日記なんで許していただきたい。

もちろん、自分を許して欲しいと言うことは自分も他人を許さないといけないっす。
『他人を許す』って以前読んだ自己啓発の本で見た気がする。
おそらく、今自分(ら?)がやってる「あの人のアレがダメ」だとか「あぁ言うこというのはダメ」とかダメダメ批判がそれに当たると思う。
所詮、他人は他人で、他人を変えることは出来ません。それに、自分が他人を変えたとしても、どうしても関係とか歪になるでしょうし。人間誰しも完璧ではないし、自分の思い通りになるわけもないです。

今、自分のやってることは友達を減らすことに繋がるやもしれません。いや、今とあらずここ数年ずっとか。
自己分析ですが、被害妄想だと思うんだけど自分は他人から許されないという感触が拭えず、他人に対して許せない感情が出ているのだろう。
「自分は許されないのに、何であの人は許されるの?」という不公平感(劣等感)を常に持っている自覚があるので。
なんか、昨年はあの家の人ら以外の人と話す度に、全体的に自分には発言権が無く(自分の発言がレベルが低く進歩がないという自覚もあり)、運ゲーを勝ち抜いた努力家には発言権があるというようなことを酷く感じたので。


ただ、特定の人間に対してキレているように見えるかもしれないけど、そんなわけではございません。
あえて、抽象的に書きますが、
こういう状況でこういう価値観を持つ人が多数派で、そうあることが当たり前ということらしい。それが当たり前ということに納得できないけれども、その当たり前になってもいない自分が批判するのも筋違いなので、同じ土俵に立ってから物を言おうとしても自分がそうあれないということに対してキレているので。

で、同じ土俵に立とうということが間違っていると気付いたのが昨年の進歩。


つまりは自分の状況に対してキレている。これが『自分に納得できていない』の正体。
この自分に対してキレる状況を助長するのが、先を行く者の先を行く会話。

「そういう話は自分が惨めになるだけなのでなるべく聞きたくない」と思うのが自分だけの意見かと思ったら、案外そうでもなかったのでちょっとホッとしましたけども。


しょうもない悲劇の主人公系な卑屈人間の心理はこういうもんです。
この期に及んで自分の非行を自分で弁護する情けなさである。

自分を許して欲しいなら他人を許しましょう。
って事だけども、
重ね重ね言うけど、自分が許されない感じがしたので他人の行動に対して攻撃的なのかと。まぁ卑屈な非リア充全般コレに当てはまってそうですわ。
リア充になったら、オーラが変わる仕組みは自分が許される状況にあるからなんだと思うんですわ。

今や自信が無くなりましたが、『好かれたかったら他人を好きになれ』とか『褒めてもらいたかったら他人を褒めよう』とか、そういう言葉をまだ信じていたいので、なるべく卑屈な態度は止めた方がよいですなぁ。


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