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自分自身を含め、あの家(にいる人)をよくしようという思いで作られた、 他人の人生にまで干渉したがる実に傲慢極まりない 家主のダウナー系日記。 アッパーになるための日記でもある。
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タイトルの時点でしょうもねえ持論展開ってわかるだろうから、少しも共感持てないリア充はすぐページを閉じろ。お互い不快になるだけだ。


酸っぱいブドウ理論で、女はクズって思わんとやってられない心理状態になるまであと少し。
よくよく考えたら、高校の時から同じ事言ってる気がするな。普通に当たり前のように女とつきあえる人からしたら経験にもなってない経験がさらに増したから、その傷は深いけどな。
その傷も当たり前のように女とつきあえる人からしたら大した傷じゃないのにな。

そういう点でも、当たり前のように付き合える人間は、俺みたいな人間を見下す。それはクズと思わん。逆の立場なら、俺だってそうなるから。
だが、不公平だとは思う。運ゲーだとも思う。クズと思ってもいい権利はあるとは思う。


話が逸れたが、女はクズ理論。
って書くと、まだ関わりあったり、結婚等で関わりは断ったが腐れのない女の知り合い等もクズに含まれるから。

・自分のことをキモがる女
・自分に愛想だけふるまって内心友達にすらなる気無い女
・自分に気があるかもと思った瞬間素っ気なくなる女
・自分が興味持っても、自分に無関心な女
・自分と関わっていない女、関わることができない女

この辺クズ認定しといたら精神的によいだろう。
あ、陰口を言うとか、そういう当たり前のところは書いてねえよ。あえて、自分視点の自己中査定だけ書いてるから。
そしたら、不要な欲情や、希望からの絶望たたき落としも無くてすむ。
ま、それ言うたら、今度飲みに行く女友達とか「別におめえなんか興味ねえし」とかええ加減30歳でこのザマな自分をキモがってたりするかと思うし、そう思うとクズ認定するのも躊躇われるが。

・別に欲情しない女
・別に興味が湧かない女

はクズじゃない。これだな。


一度でも女と心を交わしたことがある人間はいいよな。自分を愛してくれる女は(どこにでも)存在するんだ、って自信があって。
「別にふられたり別れたりしても、次がある」って思えるよな。
そんな経験すらない人間が、ここ十数年、10回ほどもふられるという表現すら届かない、ふられるというところまで行かないレベルが続いたり、そんな状態で「やっといける!」と思ってもふられたりして、「次がある」というメンタルが持てるだろうか。

反省点を自分なりに分析して次に活かそうとしたりしてよ。ええ加減アホらしいわ。
死ねよ。女と関わりを持とうとする自分の無駄な性欲消えろよ。うっとうしい。



余談。こっちの方が重要か。
自信のない男。人生楽しそうでない男。
が恋人どころか友達すらできるわけがない。
というもっともな指摘を受けて、いいわけ。

自信のなさは前から頑張って虚勢的な感じで女性と話したりしてます。
人生楽しくないのはごもっともでして、何してても楽しくない病になりつつあります。
少し前までは、「ゲーム楽しい」「読書楽しい」「TCG楽しい」とかやってたんすけど、「え、その年で……」とかdisってくる人のせいでモチベに水が差されたり、というかその程度のモチベだったりするんだけど。(所詮暇つぶしだし)

女関係無しで、人生を楽しむこと、楽しそうに生きることが急務だな、と。
この盆休みの何も楽しんでなさがかなり焦燥感を駆り立てている。
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体調が少しずつまともな人間になりつつある感じがするので、心にも余裕が出始めてるかと思いましたが、やっぱり、5,6年という月日に重なった絶望感を払拭するのはなかなか難しいようで、そこまで心に余裕のある人間にはなれていないようです。


ひさびさにビリヤードでもして精神統一したいですな。週末からGWやし。
腰痛が怖いんよなぁ。あの球技。
昨今の心境にようやく納得がいった。
これで少しは気が楽になるだろう。しかし、人間、暇になるといかん。余計なことまで考えてしまう。大方、悪いことばかりな。

『幸せボケリア充と不運な負け組卑屈非リア充』と題して、投資篇、恋愛篇、就職・仕事篇の三つの事例をフィクションでお送りしたい。

●投資篇
A……株のアプリバブルに乗れ、上手く儲けた勝ち組
B……日経平均銘柄を長期保有で、ここ最近の株高に乗れた勝ち組
C……電機メーカーなどの不振銘柄を持ち、メタンハイドレートブームで高値掴みした負け組

泣く泣く損を確定させたCさんの横で、Cさんが聞きたいわけでもないのに、AさんとBさんは楽しそうに株の話をしています。意気消沈しているCさんにAさんとBさんは言います。
A「スマホアプリ関連ブームに乗れたわぁ!てか、Cさん、メタンハイドレート関連とかねえわ。いつ実践的になるんで~」
B「シャー○とか○ナソニックとか今買うとこじゃねかろう。勉強不足やわ」

Aさんは、運ゲーを物にしただけ。取引の上手下手はあるが、そこに乗れただけなので、謙虚さが足りない。
Bさんは、Cさんなりに考えた結果、努力した結果をバカにする形。Cが勉強不足と言うならもっと具体策を提示してあげたりしたい。
Cさんの努力の空回り、取引の下手さはあるでしょうが、言い方という物があります。AさんとBさんは研究によって儲けられたのかもしれませんが、所詮底と天井が分かるわけもなく、その他リスクのうずまく運ゲーを物にしたAさんとBさんに気遣いがあるのなら、儲けたお金でCさんに何かおごってあげるのもいいかもしれません。


●恋愛篇
A……それなりに出会いを求め、彼女が出来た。
B……待ってたらたまたま彼女が出来た。
C……いろいろ彼なりに頑張ったが、彼女が出来ない。

女に相手にされず、彼女を作る機会を失ったCさんの横で、Cさんが聞きたいわけでもないのに、AさんとBさんは楽しそうに彼女や結婚の話をしています。意気消沈しているCさんにAさんとBさんは言います。
A「また次探せばいいじゃん。てか、がっつきすぎじゃろ。余裕を持って」
B「まぁ自分も悪いんじゃね?ゲームとかせんで、外出たら?その方が出会いがあるじゃろ」

Aさんは、恋愛には少なからず積極性が必要(放っといたら女が寄ってくるイケメン除く)なのに、がっつきすぎとか結果論なアドバイス。余裕が何を意味するのか不明ですが、仮に女に対する心遣いを余裕とするなら、それ持っていたら彼女が出来るのではなく、彼女が出来るから女に対する心遣いが持てるという勘違いに気付いていない。また、Cさんに女友達すらいない状況ならなおさら。
Bさんは、本人なりの努力を認めない感じ。また趣味を否定してどうするのか。彼女が出来てゲームがどうでもよくなった人が、ゲームを止めれば彼女が出来るという勘違いアドバイス。「外に出たら?」はいいが、外に出た方が出会いがあることくらいはCさんもわかっている。
運ゲーを物にしたAさんとBさんが、Cさんの気持ちも考えず、ずけずけと人の心に踏み入る行為。アドバイスも全体的に無責任で、オナニー。本当にその人のことを思うなら、「紹介の機会があれば話を出すよ?」などの具体策を提示したい。


●仕事・就職篇
A……親の紹介で入社。仕事に不満なし。
B……普通に就活して、数社面接で入社。仕事に不満はあるが頑張っている。
C……何社受けても就職が上手くいかず、通った会社がブラック企業で現在退社。

次の就職先が見つからず、自分に自信が持てないCさんの横で、Cさんが聞きたいわけでもないのに、AさんとBさんが楽しそうに仕事の話をします。意気消沈しているCさんに、AさんとBさんは言います。
A「次じゃろ。ハロワでも行ったら?」
B「ちょっとは妥協せにゃいかんで。俺だって苦労してきたんだし」

Aさんは、適当な無責任アドバイス。ハロワ行ったら?はまぁ普通ですが、そのくらいやってます。知ってます。
Bさんは、これも下手すると癇に障ります。妥協くらいしなきゃいけなければします。苦労は質が違うかもしれませんが、Cさんの方がおそらくしてます。
Cさんに配慮したもっと謙虚な姿勢がいい。放っといても必要ならCさんはもっと就職活動に動きますし、彼なりにどんな仕事まで妥協するか考えが何となくでもあると思うので、そこを言っても仕方ない。どうせなら、紹介の話など、具体的な解決策を言いたい。就職できたこと、仕事先が自分に合っていること、このあたり、学歴・人柄もあるでしょうが、運ゲーを物にしたと思うべき。


結論

●AさんとBさんのクズな部分
・会話内容に配慮がない。意気消沈している横で楽しそうにその話をすること自体が誤りの可能性大。
・謙虚さがない。運ゲーを物にしたという自覚を持ちたい。
・自分にとっては些末な問題でも、Cさんにとっては深刻な問題であることが多い。苦労する部分は人それぞれであり、突き当たる壁も人それぞれ。努力の仕方も人によって得手不得手があると知るべき。
・必要に駆られるとそうなる。というか、なるようにしかならない。無責任な曖昧なアドバイスをするくらいなら、具体的にどうするかを言うべき。具体的に言うのも適当に「これでええんじゃねん」とか言うのはバカにしてるとも思われますので、本当にその人のこと(得手不得手や人柄)を考えてアドバイスしたり、紹介などの成功率の高い方法で手助けしてあげるべき。
・原因と結果を勘違いしすぎ。彼女との付き合いで暇つぶしのゲームを止めた。彼女がゲーム好きなわけでもないので趣味であったゲームがどうでもよくなった。というような人が、「ええ加減ゲーム止めたら?」と、下等な趣味なように批判するのはクズ。ゲームを止めて彼女がほぼ確定で出来るのなら別ですが、ゲームを止めても止めなくて出来るものは出来ます。結果的に、ゲームを止めた人がゲームを止めれば彼女が出来ると勘違いしたアドバイスをしている。

●それに対して反感を抱くCさんのクズな部分
・幸せボケのリア充の言うことを真に受けすぎ。
・幸せな友達は、つらくても祝ってやるべき。幸せな話を聞いてあげるべき。
・深刻に考えすぎ。
・いつまでもくよくよしない。ただ、いつまでもの期間は人や境遇によるので、何とも言えない。
・もし行動してないのなら、AさんとBさんに文句は言えない。自分なりに行動しているのなら別。


余談。

ちなみに、クズな部分は治そうとしなくていいです。
世の中、大半がクズな部分を持った人間ですから。完璧な人間なんていません。

また、クズな部分を治そうとしても、

●失敗した場合
努力してもがいても、溺れそうになってしまい、プールサイドに戻ります。しかし、誰も「頑張ったね」などとは言いません。誰かに褒められたいならやるべきではないです。自己満による自己啓発なら治そうとすればいいです。

●成功した場合
ゴール地点には一人だけです。他人のクズ要素はそのままなので、自分だけ頑張って変わったことが許せない人はやらない方がいいです。
また、「俺は成功したから、お前らも治そうとしろ」というのは一番クズなパターンです。自分が出来たら、人が出来るわけじゃないですし。人に押しつける行為はクズです。

どちらも、見返りはありません。自己満です。見返りがあったとしても、それは結果論で運ゲーです。個人的経験ですが、治しても治さなくてもその見返りはあったことの方が多い気がします。


こういうのは、治そうとして治すのではなく、気付いたら治っていたというくらいが丁度いいのです。時には、意識して根性で治す(泳ぎ切る)ショック療法も必要でしょうが、重症じゃなければ、適当にしといたらいいですね。



ま、ちょっと適当に書き殴ったので粗がありそうですが、個人的にA.Bさんのクズなところと、Cさんのクズなところが分かったし、投資も仕事も恋愛も、人生の大方こんなことが起こってると分かったので納得いきました。

腰というか骨盤(股関節にあたるのか)が痛い。まぁ総じて腰だろう。
これまた日によってムラがあるな。

まぁ最近思うことは、友達のやってることくらい褒めたり認めたり理解したりするべきだな、て。
自分は褒めたり認めたり理解したりされたいので、自分からも率先してそうしてますけども。
ただ、例外は批判する人の批判行為や見下し。
そりゃ間違った方向に進む時は止めるべきだけど、性癖やら趣味やらで批判はねえわ。
「いや、君ら」が絶滅危惧種になってきたのでいい傾向ですけども。

「自分の考えが一番」「普通や一般(というありもしない幻想)が一番」と無意識に考えてる人は注意やな。

パンピー(という幻想)と自分らって境界線を引くのは立場的に仕方ないけども、その想定しているパンピーが一番てわけでもないし、そもそも、パンピー(という幻想)でない友達を批判って、もうそういうことする人は友達じゃなくてただの知り合い程度だと思うんですよね。

「お互い褒めあって馴れあうのが一番」って言いたいんじゃないんですけど、まぁちょっと友達(のやってることや考えてること)に対して理解や共感をした方がいいと思うんですわ。

考えが違ったら、「俺とは考えが全然違う。ダメだコイツ。ドン引き」って人がどうも多くて、「俺とは考えが全然違うけど、そこがまたいいところだな。そういう考えもあるか」って人が少ないと思うんですわ。友達同士くらい後者でありたい。


ただ、自虐卑屈なネガティブ思考や批判誹謗中傷とかは「俺とは考えが全然違う。ダメだコイツ。ドン引き」でもいいと思います。そういう時は友達として軌道修正できるようにアシストしたいっすね。
「自分が説教、布教して正す!」じゃなくて、あくまでアシスト。カウンセリング等でもそうだけど、これが大事。

ま、でも友達とは言え、興味のない話を延延とされるみたいなのになると、きついもんがあるので一概にこの記事でドヤ顔は出来ませんな。
そこは心の余裕と言いますか。その点、今の自分にはあまり無い感じですね。
嫉妬や怨嗟にあふれたこのブログで傷ついた人がいるなら、心より謝罪します。
そもそも読まれているということに驚きです。
以前もこんなことしたけども、感情のはけ口(自分への納得)が個人的にこんなオナ日記なんで許していただきたい。

もちろん、自分を許して欲しいと言うことは自分も他人を許さないといけないっす。
『他人を許す』って以前読んだ自己啓発の本で見た気がする。
おそらく、今自分(ら?)がやってる「あの人のアレがダメ」だとか「あぁ言うこというのはダメ」とかダメダメ批判がそれに当たると思う。
所詮、他人は他人で、他人を変えることは出来ません。それに、自分が他人を変えたとしても、どうしても関係とか歪になるでしょうし。人間誰しも完璧ではないし、自分の思い通りになるわけもないです。

今、自分のやってることは友達を減らすことに繋がるやもしれません。いや、今とあらずここ数年ずっとか。
自己分析ですが、被害妄想だと思うんだけど自分は他人から許されないという感触が拭えず、他人に対して許せない感情が出ているのだろう。
「自分は許されないのに、何であの人は許されるの?」という不公平感(劣等感)を常に持っている自覚があるので。
なんか、昨年はあの家の人ら以外の人と話す度に、全体的に自分には発言権が無く(自分の発言がレベルが低く進歩がないという自覚もあり)、運ゲーを勝ち抜いた努力家には発言権があるというようなことを酷く感じたので。


ただ、特定の人間に対してキレているように見えるかもしれないけど、そんなわけではございません。
あえて、抽象的に書きますが、
こういう状況でこういう価値観を持つ人が多数派で、そうあることが当たり前ということらしい。それが当たり前ということに納得できないけれども、その当たり前になってもいない自分が批判するのも筋違いなので、同じ土俵に立ってから物を言おうとしても自分がそうあれないということに対してキレているので。

で、同じ土俵に立とうということが間違っていると気付いたのが昨年の進歩。


つまりは自分の状況に対してキレている。これが『自分に納得できていない』の正体。
この自分に対してキレる状況を助長するのが、先を行く者の先を行く会話。

「そういう話は自分が惨めになるだけなのでなるべく聞きたくない」と思うのが自分だけの意見かと思ったら、案外そうでもなかったのでちょっとホッとしましたけども。


しょうもない悲劇の主人公系な卑屈人間の心理はこういうもんです。
この期に及んで自分の非行を自分で弁護する情けなさである。

自分を許して欲しいなら他人を許しましょう。
って事だけども、
重ね重ね言うけど、自分が許されない感じがしたので他人の行動に対して攻撃的なのかと。まぁ卑屈な非リア充全般コレに当てはまってそうですわ。
リア充になったら、オーラが変わる仕組みは自分が許される状況にあるからなんだと思うんですわ。

今や自信が無くなりましたが、『好かれたかったら他人を好きになれ』とか『褒めてもらいたかったら他人を褒めよう』とか、そういう言葉をまだ信じていたいので、なるべく卑屈な態度は止めた方がよいですなぁ。


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